花火
長岡の夏の風物詩といえば、やはり長岡花火ではないでしょうか。打ち上げられた花火は様々な色や形で夜空を輝かせ、私たちの心に感動を与えてくれます。多くの方々が苦労し準備して下さったことで、私たちは毎年楽しむことができています。しかし、楽しいひと時はあっという間に過ぎるもので、約二時間の花火が終盤に近付くともっと見ていたい、この時間がもっと続けば良いのにという思いになります。そして花火が終わると楽しかった思い出と、寂しさが残らないでしょうか。ところで、私たちの人生はどこか花火に似ています。色や形はそれぞれ違い、様々な個性で輝いておられますが、時の流れとともに無くなります。
「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは苦労とわざわい
です。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。(詩編90篇10節)」
これは今から3500年ほど前に生きたモーセという人の祈りの一節です。私たちの人生について的確に表現しています。人はみな今を一生懸命生きており、学生であれば勉強、大人であれば仕事または家事や育児のことを頑張っておられるでしょう。しかし人生は長いようで振り返ってみるとあっという間です。また、これらの頑張りという輝きは一時的なものであり、ほとんどが苦労やわざわいで、あとは花火のように消えていく・死んでいくだけであれば、その人生はなんとはかなく空しいものではないでしょうか。
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(へブル9章27節)」
聖書の別の箇所には人について、散って何もなくなってしまう花火と違い、死で終わりでなく死後に神様のさばきを受けなければならないと語っています。もし人が死んで無に帰してしまうのであれば、あなたの人生に意味を見い出すことが出来ません。自分が楽しいと思うことだけを行い、嫌になれば命を絶っても良いことになります。実は先ほどのモーセの祈りには続きがあります。
「だれが御怒りの力を知っているでしょう。…それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを
教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。(詩編90篇11,12節)」
人が死に、生涯で行ってきたことが神様の前に正しくないと判断されればその人は神様の怒りを受ける…すなわち地獄に行かなければなりません。しかし神様は私たちを愛して下さり、ご自分の御子イエス・キリストを遣わして救いを備えて下さいました。モーセが教えて下さいと祈ったように、あなたの日数が無くならないうちに、あなたの人生の意味について、また知るべき知恵、イエス・キリストの救いについて聖書の中から詳しくお伝えするため特別な集会をご用意しました。是非、この集会にお越し下さることをお勧め致します。